2013年10月23日、カール・アイカーンはティム・クックに宛てた公開書簡で、1500億ドル規模の自社株公開買い付けを直ちに実施するようアップルに求めた。根拠は貸借対照表にある。手元現金がおよそ1470億ドル積み上がっている一方で、株価はその価値を織り込んでいないという主張である。すでに公表されていた3年で600億ドルという取得枠についても、規模が足りないと切り捨てた。事業への注文は一つもない。現金の置き場所だけを問題にした要求だった。
会社は1500億ドルの公開買い付けを実施していない。しかし自社株買いそのものは加速し、取得枠も段階的に拡大していった。アイカーンは2014年2月、自ら提出していた株主提案を取り下げる。会社が要求どおりの形では動かなかったが、要求が指していた方向には動いたためである。取り下げは敗北ではなく、目的の達成として説明された。
その後アイカーンは、2016年に保有をすべて売却したことを明らかにする。理由として挙げたのは中国事業への懸念で、当局によるiTunesとiBooksのサービス停止に触れていた。要求は部分的に満たされ、対話はそこで終わっている。
日本企業が読み取るべきは、要求の形と要求の中身を切り分ける実務である。アップルは1500億ドルという数字を受け入れなかった。それでも還元の水準を自ら引き上げたことで、提案を取り下げさせている。効いたのは要求の是非を論じたことではなく、要求が指す問題に自分の速度で答えたことだった。手元現金が積み上がっている会社は、それを説明する義務から逃れられない。説明できないうちは、金額の当否ではなく、金額を決める権限そのものが問われることになる。