読み物/SaaSは死ななかった——だが市場の選別は終わっていない

SaaSは死ななかった——だが市場の選別は終わっていない

文 — 曽我有希 / Yuki Soga

2026年前半のソフトウェア株の急落は、「非景気後退局面としては30年超で最大」(J.P. Morgan)と記録され、「SaaSは死んだのか」という問いを突きつけました。反発は速かった。しかし、史上最高値を更新した会社と、最高益でもなお売られ続けた会社とに、はっきり分かれました。問うべきは「死んだか」ではなく、市場が何で選別したか、です。資金を出す側の視点から読みます。

なぜ売られたか——エージェントの恐怖

発端は、2026年1月のAnthropic「Claude Cowork」発表でした。売りの理屈は単純です。Microsoftのナデラ CEO(2024年12月)に言わせれば、業務アプリは「本質的に、ビジネスロジックを載せたCRUDデータベース」にすぎず、そのロジックがAIエージェントに移れば「崩壊する」。人数ぶんに課金するシート型のモデルは要らなくなる、という恐怖です。

ただし、留保もあります。Gartner(2026年7月)は、2030年までにSaaS支出の約20%(最大2,340億ドル)がAIエージェントによる置き換えリスクに晒されるとしながらも、SaaSは消えるのではなく「別の形で立ち現れる」と述べています。Forresterはむしろ、支出の増加(2025年の3,180億ドルから2028年の5,120億ドルへ)を見ています。滅亡か、脱皮か。市場は、先に売りました。

戻った会社、戻らない会社

売りは春に一巡し、反発が来ました。ただし、全面的なリバウンドではありません。戻ったのは全体ではなく、市場が評価した特定の「型」でした。型は3つあります。

従量課金で、史上最高値を更新した型。 Datadogは2026年1〜3月期に四半期売上が初めて10億ドルを超え(前年比+32%)、AI連携の顧客は6,500社を超えてARRの約8割を占めるに至り、株価は史上最高値を更新しました。CrowdStrikeやCloudflareも最高値圏にあります。Snowflakeはプロダクト売上の伸びが+30%から+34%へ加速していますが、2021年の熱狂期につけた高値にはなお届いていません。共通するのは、課金が人の数ではなく、利用量に連動していることです。

シート課金のワークフロー型は、好決算でも戻りません。 Salesforceは、AgentforceのARRが12億ドル・前年比+205%(2026年5月の決算発表)という数字を出してもなお、売られた側に残りました。ServiceNowも、サブスクリプション売上+21%、Now Assistの純新規ACV倍増超、AI製品の年間目標を10億ドルから15億ドルへ引き上げながら、評価は戻りません。UBSは「AI以外の予算からAIへ付け替えているだけだ」として格下げしています。Adobeは、生成AIによるAdobe Stock事業への侵食を決算で認め——同事業を除けばARR成長率は約0.3ポイント高くなる、という形の説明です——、18年務めたCEOの退任を発表しました。WorkdayはCEO交代と創業者復帰、Intuitは通期ガイダンスの引き上げと同時に、3,000人(全体の17%)の削減およびAI提携を発表しています。Monday.comは2027年の目標を撤回しました。名前を挙げればきりがありません。

第三の型は、2025年の勝者そのものの再検証です。 Palantirは売上+85%という成長を示しながらも売り直され、MicrosoftはAI事業のランレート370億ドル(前年比+123%)を示しながら、設備投資への懸念で評価を下げました。IBMは、コンセンサス比わずか2%ほどの売上ミスに対して社史級の売りを浴びています。ここで市場が使った物差しは、Goldman Sachsのペア・フレームワークに近いものです。買われたのは、物理的な実行力・規制の壁・統合の複雑さ・人間の説明責任を持つ側と、インフラの受益者。売られたのは、成長の鈍ったワークフロー自動化SaaS。分けたのは努力の量ではなく、料金モデルと、証拠の形でした。

AIはどう使われ、どう語られているか

社内での利用については、各社が——定義はそれぞれ異なりますが——数字を開示しています。Googleは新規コードの30%超(2024年10月時点では25%)、Microsoftは20〜30%をAIが生成しているとし、Salesforceは社内業務の30〜50%をAIが担い、エンジニアの新規採用を凍結、サポート人員を9,000人から5,000人へ減らした、と語ります。

市場が評価する開示には、型が4つあります。第一に、AI収益の絶対額。Microsoftの130億ドル(2025年1月)から、15カ月の沈黙を経ての370億ドル(+123%)は、歓迎されました。第二に、エージェント製品のARR。Agentforceは5億ドル超から8億、12億ドルへ、+205%。第三に、利用量のプロキシ。「Agentic Work Units」24億件、といった指標です。第四に、効率。Palantirのルール・オブ・40は145%に達します(2026年1〜3月期)。料金モデルそのものも動いており、Agentforceは1会話2ドルの従量制にFlex Creditsを加え、さらに解決した案件の単位で課金する方式を追加しました。IntercomのFinは1解決0.99ドルで、ARRは初年度の100万ドル→1,200万ドルから2026年春には1億ドルへ、新規顧客の12カ月ネット・リテンションは112%から146%へ伸びました。

ただし、効率の語りは両刃です。Klarnaは「AIが700人分の仕事をした」——解雇ではなく、生産性の換算です——と述べたのち、品質の低下を認めて再雇用に転じ、その後、2026年第1四半期に黒字転換する、という経過をたどりました。Duolingoは「AIファースト」の社内メモを公開し、そして撤回しています。効率の話は、「誰の仕事を代替する話なのか」とセットで読まれます。

世界の資金はこう見ている

Morningstar(2026年6月3日)は、「巷の物語に反して、ソフトウェアはまだ死んでいない」と書きました。AI収益を開示している企業では、その収益が+100%超・売上の約5%にまで育ち、粗利率はむしろ上がっている。死んだのではなく、試験が始まったのです。出題科目は、絶対額でのAI帰属収益、NRR、推論コストを負ったうえでの粗利率、RPO・cRPO、ルール・オブ・40、そして料金モデル移行の証拠。市場の要求は、楽観の物語から、「どこかの時点で稼いでみせなければならない」(Goldman SachsのJim Covello氏)という証拠の提出へ移りました。

そして、その採点基準は、AIネイティブ勢の速度によって書き換えられていきます。Anthropicのランレートは470億ドル(2026年5月、会社発表ベース)——Salesforceが約27年かけて到達しつつある年間売上の規模に、最初のClaude公開から約3年、ランレートベースで届いた計算です。Retoolの調査(2026年2月「Build vs. Buy」レポート)では、企業の35%が一部のSaaSをすでに内製へ置き換えたと答えています。一方で、留保もあります。Hoffmanの「Notes from the SaaS Funeral」が言うように、ソフトウェアは保守・検証・コンプライアンスを要する「生きた系」であり、構築が安くなれば、ジェボンズのパラドックス——効率化がかえって総需要を増やす逆説——で、総需要はむしろ膨らむ、と。

日本企業はこう読む

東京のソフトウェア株も、この選別の外にはいません。ただし、日本で見るべきは値動きではなく、開示の型です。ALL STAR SAAS FUNDの分析(2025年12月公開)では、日本の上場SaaSのPSR中央値は4倍前後と、米国に比べてもともと低い水準にあります。物語の過熱が小さいぶん、選別の物差しは、より直接に開示の中身へ向かいます。

ここでの雛形は、freeeの決算FAQ(2026年2月)です——「AIは脅威ではなく、優位性を高める機会」。システム・オブ・レコードであることと、60万を超える有料課金ユーザー企業の業務データを堀とし、「Done by You → Done for You」を掲げて、CAIO(最高AI責任者)を任命しました。脅威の問いに、料金モデルとデータの位置で答える——米国で買われた型と、同じ言語です。

だから、問うべきは「SaaSは死んだか」ではありません。生き残ったかどうかは、もう論点ではないのです。問うべきは、「自社の収益は、顧客の人員数に連動していないか」「AIの収益を、物語ではなく絶対額で示せるか」「効率の語りは、誰の雇用を代替する話として読まれるか」——です。選別は、終わっていません。世界の資金が最初に見る場所を先に見ておくことが、この試験の、唯一の受験対策です。


出典: 各社の決算・公式発表/J.P. Morgan/Goldman Sachs/UBS/Morningstar/Gartner/Forrester/Retool/ALL STAR SAAS FUND ほか。数値は各公表時点のもの(2026年7月時点で確認)。

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